“CASSHERN”観てきた
「APPLESEED」の感想がつい長くなってしまったので、「キャシャーン」についてはこっちに書く。
上映時間は2時間半ほど。しかしこんなに長いと感じた2時間半も珍しい。
「キャシャーン」もまた、脚本が実にひどい。
「戦争やめましょう」という、実に普遍的だがそれ自体は平凡なテーマを、映像や俳優の演技ではなく、ぜ~~んぶセリフで喋り尽くしてしまってどうする。それだけならまだしも、主人公の独白(モノローグ)がやたらと多く、大切なテーマを主人公がすべて一人で語り尽くしてしまう。脚本の基本が全然なってない。
そして、「APPLESEED」についても言えることだが、本来、口語(しゃべり言葉)中心に使うのが適切であるべきセリフに漢語表現がやたら多い。
デビュー当時の椎名林檎のようなアーティストの歌詞に、やたら漢語表現が多くても、まだ「可愛らしい背伸び」として許せもしよう。だが、れっきとした大人が意図的にこ難しい言葉を使って観客を威嚇してどうするのだろう。
それとも、「エヴァンゲリオン」以来、こういうのも一つの技法として確立したとでも言うのだろうか?
シナリオライティングの基礎中の基礎として、「セリフはできれば台本で3行まで、モノローグは極力使わないのが良い脚本だ」という考え方がある。短いセリフでなるべく会話を多くすれば、登場人物間の関係性--葛藤、対立、共感などなど--がよく描かれ、それでこそドラマは成立するという考えである。何よりも、「モノローグ(独白)」ばかりで話が進んだら、ドラマトゥルギー成立の余地がない前衛劇になってしまうではないか。
もちろんこれがあくまでドラマ作りの基礎であり、上記に該当しない名作も数多く存在することは承知している。だが、キャシャーンの脚本のヒドさは、とてもそんな名作たちと並び語るようなレベルにはない。
月並みなセリフをそんなにダラダラと喋らせているヒマがあるなら、キャシャーンの戦闘シーン(かなりカッコいい)をもっとたっぷり見せて、単純明快娯楽大作にすればよかったのではないか、と思ったのは僕だけではないはずだ。
それでいて、大上段なテーマの割に大して深みのある話とも思えないし、物語の伏線らしきものも一応存在はするものの、テンポは実に悪い。つまりは、脚本が「くどい」。
そして、くどい割には、ストーリーそのものも結局よくわからない。(これは「APPLESEED」も同様)
僕は、「戦争反対」とか「愛こそ至上」とか、そーいうクサいテーマは決して嫌いじゃない。
頭のつくりが単純だから、どっちか言うと、そういうのに不覚にもジーンときちゃったりするタチなんだが、この「キャシャーン」には、かなりムカついた。とにかくあまりにも脚本が説教臭いのだ。映像は陰惨きわまる戦闘シーン、それで、セリフでばっか、愛がどうとか大切な人がどうとか言われても、そりゃシラけるってば。
どうも、宇多田ヒカルの旦那さんは、映像の力こそ確かに凄いが、物語や言葉にはかなり弱い人らしい。
確かに映像はかなり凄いとは言えるが、そうは言っても「ファイナルファンタジー」あたりの影響もかなり感じるし、更に言うと音楽が凡庸なのもつまらない。(これは、宮崎アニメも含めて、日本映画がハリウッドに大きく遅れを取っている部分でもある) 椎名林檎の「茎」とか、ベートーヴェンの「月光」とか、そんなテレビCMで聴いたことがあるようなメロディは、何か特別の効果を狙うときのみにこそ使うべきじゃないか。
もっと意外性のある、テーマに沿った趣旨で耳新しい選曲はできなかったものか。
一つだけ、リアルタイムに1974年当時の「新造人間キャシャーン」を見ていた僕にとって嬉しかったのは、TV放映当時に僕がカッコいいと感じていたところ、--たとえば、顔のマスクが“ピシュッ”と閉まるのが「戦闘開始」を象徴するテンポ的アクセントになってるとことか--について、ほぼ同じ「カッコよさのツボ」がちゃんと押さえられていたところはちょっと嬉しかった。これはやはり、監督が僕と同世代に近いせいだろう。
そもそも、この監督が「キャシャーン」のリメイクを初監督作品として選んだ時点で、相当に注目してはいたのだが、残念ながら、映像出身の監督の例に漏れず、処女監督作は、ドラマづくりの弱さが目立ってしまったようだ。
しかし、映像出身の監督が、初期にドラマ作りの弱さを指摘されるのは何も日本人だけの話ではない。
CMディレクター出身のリドリー・スコットも、MTV出身のデビッド・フィンチャーも、初期の監督作品は、「映像優先で、物語が弱い」という批判を散々浴びたものだった。もちろん両監督とも、後年に脚本の素晴らしさを評価される映画を多数産み出した。
ならば、この「キャシャーン」にも、ただ一言、「今後に期待」と感想を述べるに留まるのがいいのかもしれない。
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