『下妻物語』

下妻物語は、「ヤンキー版アメリ」である。
※以下、ネタバレ注意です。
‥とにかく公開前から、必ず観に行かねば、と決めていた。
別に僕が、「フカキョン萌え」だとかそういうんではなく、とにかく下妻物語に登場する情景の数々が、単なる表層的なヤンキー像以上の、もっと「形而上的ヤンキー性」をたっぷり描写しているような気がしたからだ。
ヘンなことを言うようだが、ケータイビジネスに関わる人は、かなりの程度「観ておくべき映画」だと思う。
◎リアリティ溢れる「イケてない現代日本像」の描写
主人公桃子(深田恭子)による、冒頭での自らの生い立ちの独白は、シナリオ的に見れば明らかに過剰に長い。だが、何やら古典的伝奇小説-たとえば「デヴィッド・カッパーフィールド」のような、―すら彷彿とさせる、このゴシック感あふれる冗長な導入は、この映画には合っているように思う。
桃子の生い立ちの設定がまた秀逸だ。
西のヤンキーのメッカ、「兵庫県尼崎市」に、バッタもんのブランド品を売るヤクザ者の娘として生まれ、幼くして、他の男に走った母にも捨てられた桃子は、不幸を遮断するための「処世術」として、コミュニケーションを経ち、自分だけのファンタジーの中で生きることで、耐え難い自らの不幸を鏡の向こうへと追いやってしまう。
以後、「兵庫県尼崎―茨城県下妻―東京の代官山」という、三つのロケーションをめまぐるしく行き来するこの映画を観ていると、一見、地理的にもまったく関連性のないかのように見える三つの街が、それがまったく同質の価値観に裏打ちされているように見えてくるから不思議だ。
◎「ヤンキー系」と「ロリータ系」の根底にある類似
昨年の11月、大阪河内長野市で、ゴスロリ好きの少女が、同じ趣味の少年と共謀して、自らの家族を殺傷した事件があった。
事件後もしばらく残っていたこの少女のホームページを眺めて、僕はつくづく、かつて日本最大のケータイHP作成サービス、『魔法のilらんど』上で起こった、仮想暴走族のリンチ事件の少女たちが作っていた「ホムペ」と、まったく同質な香りを感じたものだ。
さすがというべきか、原作の獄本野ばらという人は、ロリータ/ゴスロリの本質を驚くほど知り抜いていると思う。「ヤンキー」と「ロリータ」という、一見正反対にも見える対比ながら、実はどちらも、その根底には思春期特有の「過剰な感性」が渦巻いていることが、この「下妻物語」では見事に暗喩されていると思う。
とにかく、「ロリータ系ファッション大好き少女が、茨城から延々と電車を乗り継いで代官山にやってくる」という設定それ自体、まことに秀逸きわまるリアリティだと思う。
以前、仕事の関係で、茨城の大洗近辺にある田舎のローカル駅に行ったことがある。その駅で、過剰なまでのパンクファッションに身を包んだ高校生ぐらいとおぼしき幼いカップルが、1時間に1本だけの電車を待ちながら、堅く手を繋いで、周囲の白眼視に耐えていた情景をふと思い出した。
かたや、ヤンキーのイチゴの生い立ちもまた秀逸な設定だ。
厳格な家庭に育ち、中学生までは生真面目一辺倒、ドン臭いいじめられっ子だったいちごは、ある日レディースの暴走を見て、自らも暴走族となることで、『キライな自分』の殻を破ろうとする。
ロリータの桃子、ヤンキーのいちご、どちらも心の中にどうしようもない陰りを抱えている。
こんなコトを書くと怒られそうだが、ゴスロリであれ、パンク系であれ、サイバー系であれ、「ファッション」というよりむしろ「コスプレ」といいたくなるほどの過剰なファッションは、実は都会の属性ではない。むしろ、都会に憧れる少年少女の過剰な空想によって成立しているようなところがある。
そういうわけで、桃子のロリータファッションも、イチゴ(土屋アンナ)のヤンキー丸出しの特攻服スタイルも、結局は同じ鏡の裏表の関係にある。
だから二人が、次第に唯一無二の親友になっていくのも、観ていてとても自然に感じられてしまう。
◎ケータイカルチャーとの近似点
桃子の心象風景やその独白は、中高生の少女が、「魔法のiらんど」などで造るような「ホムペ」では、本当によく観られる情景だ。他者との関係性を紡いでいるようでいて、その実、そこには鏡に投影された自らの虚像とのコミュニケーションをしているかのような雰囲気が漂う。
唯一、この映画にリアリティを欠く部分があるとするなら、(これは仕方のないことなのだが)桃子もイチゴも、常に一人で行動するというところだ。
僕がこの映画を観たのは渋谷のシネクイントだったが、観客には、数名の、まさにロリータ系ファッションの少女たちが来ていた。彼女たちの顕著な特徴は、決して一人で行動しないことだ。ああした奇抜なカッコをするのは、やはり一人では勇気がいるということなのかもしれないが、そうした子たちにとって、田舎の下妻で、たった一人、毅然とロリータを貫く桃子の姿は、もしかして一種の憧れ、カリスマ的存在として写るのかもしれない。
‥余談だが、平日にこの映画を、僕のようなオヤジ一人で観に行くのは実に恥ずかしかった。
渋谷シネクイントはパルコの最上階にあるのだが、ロビーが実に狭い上に、エレベーターからロビーの前景が見渡せる。エレベーターが開いた瞬間、ロビーに居た少なくない少年少女(ロリータ系含む)に、一斉に凝視されたときは、思わずそのままエレベーターを降りてしまおうかと思った。(^_^;;;
ともわれ、確かに古典的名作になる映画だとは思わないが、「今」を巧みに描写している作品なだけに、できればレンタルビデオではなく、劇場で観ることをオススメしておく。
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