携帯が売れるワケって何だろう
こういうことを書くのも大変申し訳ないんだが、タイトルに惹かれて読んでみて少々失望。
掲載メディアの性質上、ぐっと踏み込んだ論評や多少強引さアリの主張を期待しても仕方ないのだろうけど、まず、N、Pが売れるのが「ブランドの力」だ、などと言う言説は、仕方ないこととは言え、言葉の使い方も間違えているとしか思えぬ。
「NEC端末にこだわる多数派」という現象は、結果的に「ブランド化」に見えるのかもしれぬが、NECがN端末でやっていることは、実のところほぼ全てにおいて「ブランディング」とは無縁である。
むしろ、N系端末が売れ続ける理由は、自動車に例えれば、ベースマーケットの大きなトヨタカローラが、乗り換え需要によって継続的に大量を売り続けているという事実に近いだろう。
その背後にあるものは、「Nだから安心」という思い込み(実際はN端末のソフトウェア不具合は決して少なくない)、加えて「比較して選ぶほどケータイに思い入れがない」という大多数の選択。さらには、「見た目もそこそこキライではない」、「とりあえずNなら無難」という、ほとんど全ての要素で消費者にとって「消極的選択肢」と成りうる条件を満たす地位を、N端末が獲得したことに他ならぬと思う。
申し訳ないが、こういう現象は「ブランド化」とは言わない。
せいぜいのところ「定番化」と呼ぶぐらいが関の山だろう。
NEC端末が依然として売れ続ける現象の背後にあるものは、多くの人にとり、ケータイがそれだけ嗜好の対象ではなく、むしろ単なる「実用物」に過ぎないことの表れなのだと思う。
いずれにせよ、「消極的選択肢」たる「定番」となってしまった時点で、ドコモにおけるNEC端末は強い。
N900iから採用された、あの「アークラインデザイン」なる小手先のギミックも、「アークラインがステキだから900iを選んだわ☆」などという人は依然として少数派だろう。
この先、900iシリーズの後継機種となる901iでもNECがアークラインを踏襲するかどうかは知らないが、踏襲しようがしまいが、どうせのこと、NEC端末の売れ行きに大して変化はないだろう。N2051から搭載され続けている、あの賛否両論のニューロ・ポインタなども然りだ。
要するに大筋においては以前と何も変えられない。ヘタに変わろうとしたら、消費者にそっぽを向かれる危険性すらあり、事業的にリスクとなるだろう。
だから、毎回毎回、小手先のギミックを付けていくことで、ごくごく少数の話題性だけがあればいい。そういうことなのだろう。
先日、某社の出版部でもっとも有能な編集者との評判も高い人と食事する機会があったが、同氏は「デジタルグッズはブランドたりえない。だからSONYのクオリアはカン違いだ」と主張されていた。
僕もそれは大筋で事実だと思うのだが、本当の意味のブランドとは、目に見える部分の継承性だけ作られるものではないと思う。「どういうモノになりたいのか?」「その道具がもたらす人間の行為は、そもそも何を志向するのか?」というような、「モノのあるべきイデア」へと向かおうとする思想的ベクトルさえ、ストーリーとすることができれば、デジタルでも何でも、工業製品は「ブランド」たりえると思うのだ。
だからこそ、絶対性能ではすでにライバルよりも劣るiPodは、依然として企業のプレゼントなどに多く採用されているんじゃないだろうか。(この件については、また改めて書く)
どちらにせよ、SONYを除き、日本のほとんどの家電メーカーは、いまだにブランドの意味がわかっているとは思えないし、よしんば分かっていても、あえて実行する必要もないと考えているのではないか。(2年ほど前、関西の某大手電機メーカーの、「生活科学研究所所長」なる肩書きの人物と数回食事をして話してみる機会があり、僕はそのことを痛感した)
なーに、ケータイが今ほど売れなくなったら、また別の「消極的選択肢」となる売れ筋製品を見つけ出し、同じように売り続ければいいのだ。所変われど品変わらず、同じルールでやり続ければいい。
彼らはそう考えているのだろう。
しかし、この繰り返しで、今後韓国や台湾、中国などのメーカーが同様のルールで追い上げてきたらどうするつもりなのだろう。というか実際、すでにサムスンの端末などは、世界シェアではどの純国産メーカーよりも成功してしまっているわけだが。
ひたすら高付加価値化で逃げる?だとしたら、そうしたメーカーに勤務する優秀かつ勤勉なエンジニア諸氏には、本当に大変ですねと、その多大なる労をねぎらうほかない。
もし僕だったら、自らが苦労して築いた珠玉の技術にこんな稚拙なパッケージングを施されたら、とても耐えられずにすぐに辞めてしまうだろうから。
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